不安定なところから始まった高校生活
前回の記事では、友人の家で見たPCエンジン版『イースI・II』に心を奪われ、
中学三年の夏休みに働いてPCエンジンとCD-ROM²を手に入れた頃までを書きました。
高校生活の始まりは、ゲームの記憶だけを並べて語れるようなものではありませんでした。
高校1年の頃、私は原因の分からない発作的な頭痛に悩まされていました。
病院へ通うことも、学校の保健室で過ごすことも多く、
いつ痛くなるか分からない不安がありました。
担任の先生も、私が高校を中退するのではないかと思っていました。
実際、それくらい高校生活のスタートは不安定でした。
ただ、この記事で書きたいのは頭痛そのものではありません。
そのような時期から始まった高校生活の中に、少しずつ友人と過ごす場所と、
毎週楽しみにできる時間ができていったことです。
土曜は配達まで、日曜は昼から夜まで
高校1年の冬頃になると、症状への慣れと多少の緩和もあり、
私は気分転換と小遣い稼ぎを兼ねて夕刊配達のアルバイトを始めました。
当時は土曜日も午前中に学校がありました。
学校が終わると友人と家で遊び、夕方になったら私は夕刊配達へ向かいます。
土曜は配達まで、日曜は昼から夜まで遊ぶ。
そんな週末の過ごし方を、今でもよく覚えています。
高校2年へ進級すると、ゲームやアニメ、漫画などがかなり好きな新しい友人が増えました。
土曜や日曜になると、私を含めて2〜5人ほどで、
ほぼ毎週のように自宅で遊ぶようになりました。
高校1年の頃には、その日を学校で過ごせるかどうかにも不安がありました。
それが、いつの間にか週末になれば友人が集まり、
一緒に好きなものを楽しむ時間が繰り返されるようになっていました。
大きなきっかけが一度に何かを変えたというより、
毎週の土曜と日曜が積み重なることで、高校生活の形が少しずつできていったのだと思います。
西日の入る2階の部屋
友人たちが集まる中心は、2階にあった私の自室でした。
西向きの窓があり、夕方には西日が入ってきます。
夏はかなり暑い部屋でした。
部屋には21インチのブラウン管テレビとビデオデッキ、本棚、勉強机がありました。
テレビは南西の角へ斜め向きに置いていて、
部屋のどこにいても画面が目に入るような配置になっていました。
ゲームをするにも、TVアニメやOVAを見るにも、中心にあるのはそのテレビです。
私を含めて2〜5人で過ごしていると、誰かがゲームを遊び、誰かがそれを見ていて、
別の誰かが漫画や音楽の話をしているような時間になりました。
今振り返ると、あの部屋は友人たちとの趣味の時間を詰め込んだ、
小さな部室のような場所だったのかもしれません。

何をするかは、その日のノリで決まった
集まる前から、その日に何をするか決めていたわけではありません。
ゲームをすることもあれば、TVアニメやOVAを見ることもあります。
漫画について話したり、CDや音楽を聴いたり、ただ駄弁っていたりもしました。
母がおやつを差し入れてくれて、それをみんなで食べることもありました。
ゲームを始めても、話しているうちに別のことへ移ることがあります。
好きなものを持ち寄るように、その場にあるゲーム、アニメ、漫画、音楽が混ざり合っていました。
だから、当時の週末を思い出すと、
西日の入る暑い部屋とブラウン管テレビ、そこに集まっていた友人たち、
そして、その日のノリで時間が流れていった感覚まで一緒によみがえります。
1人用のゲームでも、みんなで遊んだ
ゲームの遊び方も、その場にいる人に合わせて変わりました。
対戦できるゲームなら普通に対戦し、協力プレイができるゲームなら一緒に遊びます。
『ドカポン』のように、みんなで遊べるゲームを囲んだ記憶もあります。
一方で、1人用のゲームだから一人だけで遊ぶ、とは限りませんでした。
たとえば『ファイナルファイト』では、プレイヤーが死んだら次の人へ交代します。
1人用のゲームでも、そんなふうに順番に遊んでいました。
一人が遊んでいる間も、ほかの友人は同じ画面を見ています。
うまく進めば盛り上がり、失敗すれば次の人の番になる。
コントローラーを持っているのは一人でも、遊んでいる時間そのものは全員のものでした。
もちろん、一人で遊び込んだゲームもあります。
『スターフォックス』はかなり遊び込み、
当時はノーコンティニューでクリアできるくらいでした。
高校時代前後には、スーパーファミコン、PCエンジン、メガドライブやメガCDで、
ほかにも多くのゲームを遊んでいます。
ただ、何年何月にどのゲームを買ったかは、すでに記憶がかなり曖昧です。
発売年から当時の記憶を並べ直すよりも、
友人たちとどう遊んだかの方が、私の中にははっきり残っています。
ゲーム機は1階と2階を行き来していた
スーパーファミコンやPCエンジンは、
遊ぶ相手や時間に合わせて1階と2階を行き来していました。
1階に持って降りたときは、母と一緒に遊ぶこともありました。
母とはファミコンの頃から、ときどき一緒にゲームを遊んでいました。
高校生になってからも、それは変わりませんでした。
この頃は、PCエンジンの『スーパー桃太郎電鉄II』を
一緒に遊んだ記憶がよく残っています。
母はマリオ系やパズル、すごろく系のゲームが好きで、
ときには一人で遊んでいることもありました。
父がパワプロの実況に驚いた
父は野球が好きな阪神ファンでしたが、
普段はテレビゲームにそれほど興味を示しませんでした。
父と一緒にゲームを遊んだことはありませんが、
『パワプロ』にまつわる思い出が一つあります。
ある日、スーパーファミコンを1階へ持ってきて『パワプロ』を遊んでいると、
父がたまたま画面を見ていました。
ホームラン級の大きな当たりが出たとき、
ゲームから「ガツン!」というような勢いのある実況が流れました。
正確な言葉は覚えていません。
ただ、その声を聞いた父が、テレビゲームに実況がついていることに驚いていました。
そんな父の様子が、なぜか今でも印象に残っています。
ゲームのある場所に、人との時間が残った
高校時代をゲームタイトルの一覧にすれば、
遊んだ作品はもっとたくさん挙げられます。
けれど、今の私が残したいのは、どのゲームを何年に買ったかという年表ではありません。
土曜は夕刊配達へ行くまで遊び、日曜は昼頃から19時頃まで遊んだこと。
西日の入る暑い2階の部屋で、私を含めて2〜5人が、
ほぼ毎週一緒に過ごしたこと。
ゲームだけでなく、OVAや漫画、音楽や雑談まで混ざっていたこと。
母がおやつを差し入れてくれたこと。
1階では母と一緒にゲームを遊び、
父が『パワプロ』の実況に驚いたこともありました。
高校生活の始まりは不安定でしたが、頭痛はその後徐々に治まり、
私は中退せずに卒業しました。
その途中で、ゲームやアニメなどの趣味を通じて友人が増え、
週末を一緒に過ごす場所と時間ができていきました。
ゲームは、一人で画面へ向かう趣味でもあります。
けれど私の高校時代には、ゲームのある場所へ人が集まり、
同じ画面を見ながら、一緒の時間を過ごすものにもなっていました。
夕刊配達を始め、自分で使えるお金を持つようになったことで、
この先、ゲーム趣味そのものもさらに広がっていきます。
ただ、その話は次の記事であらためて振り返りたいと思います。