PCが重くなった月初めに、約30年を振り返る

月が替わったので、7-Zipを使ってiTunesフォルダを丸ごと圧縮し、
バックアップを取っていました。

しばらくすると、PCの動作が久しぶりに重いことに気づきました。
確認すると圧縮処理が続いていて、CPUに負荷がかかっていました。

バックアップは、新しい何かを生み出す作業ではありません。
時間がかかるわりに、終わった直後に目に見える変化があるわけでもなく、
毎月繰り返すには地味な作業です。

それでも続けているのは、残してきたデータとともに、
失ったときには戻せない時間も積み重なってきたからです。

振り返ると、私の手元には1990年代終盤から引き継いできたデータがあります。
PCも記録媒体も、その間に何度も替わりました。
一つの環境を長く守ってきたというより、環境が替わるたびに、
その中身を次へ渡すことを繰り返してきました。

月初めの圧縮でPCが重くなったことから、
私はいつから、これほどバックアップを重ねるようになったのかを考え始めました。

専門学校時代のプログラムが、今も残っている

手元に残る古いデータの中で、特に印象深いのは、
専門学校に通っていた頃に作ったプログラムです。

卒業制作は、大阪城ホールで開かれたHALフェスティバルで発表しました。
その作品は2位になり、副賞でグアム旅行へ行きました。
テレビにも、ほんの少し映りました。

ほかにも、就職作品発表会に向けて作った2Dモーションエディターや、
DirectDrawを使ったメガデモのような2D作品が残っています。
これらは作品だけでなく、
制作した頃の出来事も思い出させるファイルです。

プログラムのほかには、手持ちのCDからリッピングした楽曲も、
媒体や環境を替えながら残してきました。

こうしたデータは、古いから残っているのではありません。
古くなるまで、何度も残す方を選んできた結果として、今もあります。

卒業制作のファイルは、作品を作っていた時間から、
会場での発表や受賞、その先の旅行まで、
当時の出来事を思い出す入口にもなっています。

保存する媒体も、データを運ぶ経路も替わってきた

記憶をたどると、使ってきた記録媒体の名前だけでも、
時代の移り変わりを感じます。

フロッピーディスク、HDD、ZIP、MO、CD-R、CD-RW、
DVD-R、DVD-RW、DVD-RAM、BD-R、そしてSSD。
厳密な順番までは記憶が曖昧ですが、
その時々で手の届くものを選び、次の媒体へデータを移してきました。

それぞれを使った理由も、その時々で違いました。
CD-Rはメディアが安く、保存先として使いやすい媒体でした。

ZIPとMOは、どちらも使っていました。
MOは書き換えやすく、当時使っていたZIPより容量が大きいことに加え、
周囲にも利用者が多く、データをやり取りしやすい媒体でした。
一方、記憶ではZIPの方が速く感じられ、
扱いやすさも含めてZIPを使う場面もありました。

どちらが常に優れているということではなく、
用途や状況に応じて使い分けていました。

媒体だけでなく、データを移す経路も替わりました。
ATA、SCSI、SATA、USB、Ethernetは、技術的な位置づけこそ違いますが、
データを移してきた経路として見れば、
どれも保存の歴史の一部です。

昔は、こうして「どの媒体へ保存するか」が大きな問題でした。

しかし、さまざまな媒体を使ううちに、
どれか一つを選べば、ずっと安心できるわけではないと考えるようになりました。

以前の関心が「どの媒体へ保存するか」だったとすれば、
現在は、保存先の種類だけでなく、
残し方そのものへ意識が移っています。

壊れない媒体ではなく、壊れても失わない形にする

現在の私が重視しているのは、壊れない記録媒体を探すことではありません。
どの媒体もいつかは使えなくなる可能性があることを前提に、
壊れても失わないよう、同じデータを複数の保存先へ残すことです。

長期保管だけを考えると、磁気テープは魅力的な選択肢です。
ただし、個人で導入するには、ドライブなどのハードウェアが高価です。
理想に近いからという理由だけで、無理なく使い続けられるとは限りません。

最終的に私は、容量あたりの費用と扱いやすさのバランスから、
HDDを中心にして、RAIDやNASを組み合わせる形へ行き着きました。

RAIDは、構成に応じてディスク故障への耐性を高めるものですが、
それだけで完全なバックアップになるわけではありません。
誤削除や装置全体の故障には別の備えが必要なため、
RAIDとは別の保存先にもデータを残しています。

年月を重ねるほど、蓄積は自分にとっての強みになります。
その反面、失ったときに戻せない時間も大きくなります。

私が多数のストレージを使っているのは、
単に容量を集めたいからではありません。
これまでの蓄積を守り続けるための装備として、
現実的に続けられるものを組み合わせています。

使わなくなったデータにも、残っている意味がある

2000年代に入ってからは、PCを買い替えるときに、
旧PCのデータを丸ごと保管することが増えました。

現在では、その中から何かを取り出すことはほとんどありません。

それでも、必要ないと決めて消すのではなく、
移せるものは、そのまま保管してきました。

旧PCから移したデータには、個々のファイルだけでなく、
当時のフォルダ構成も残っています。
PCを替えるたびに保存してきたフォルダ構成は、
過去の利用環境が地層のように重なったものにも見えます。
久しぶりに開くと、その頃の出来事やPC環境、
忘れていた感情まで戻ってくることがあります。

ほとんど開かないデータを保管し続けることは、
容量だけを見れば無駄に思えるかもしれません。
けれど私には、残っていること自体の安心感があります。
いつか使うためだけではなく、
後になって「残しておけばよかった」と後悔しないために、
保存している面もあります。

いまでは保管するデータの種類も増え、ゲームプレイの大半も録画しています。
すべてを見返すわけではありませんが、これも昔のプログラムや音楽と同じく、
その時代の自分を残すデータの一つです。

頻繁に使うものだけが、保存する価値のあるデータではありません。
しばらく開かなくても、その時代の記録であることに意味があると、
私は考えています。

月初めの地味な作業が、約30年をつないでいる

月初めのiTunesフォルダの圧縮も、
いつものバックアップ作業の一つです。

ここまでの蓄積を、一度の大がかりな作業で守ってきたわけではありません。
PCを買い替えたときに旧PCのデータを保管し、
記録媒体が替われば中身を移し、現在は複数の保存先へ分けておく。
その地味な選択を繰り返した結果、専門学校時代のプログラムまで、
今の環境へつながっています。

バックアップには時間も容量も費用もかかります。
理想の媒体を一つだけ求めるのではなく、
容量、コスト、扱いやすさのバランスを取り、
無理なく続けられる形にしておくことを選んでいます。

PCに負荷をかける月初めの圧縮も、
その積み重ねを次へつなぐための、小さな作業の一つです。

これからも環境は替わり、今使っている媒体もいつかは古くなります。
そのたびに保存先を見直し、中身を移していくことになります。

私がバックアップで守ろうとしているのは、ファイルだけではありません。
そこに積み重なった時間ごと、次の環境へ引き継いでいるのだと思います。