友人の家にやってきたCD-ROM²
前回の記事では、ファミコン中心だった私のゲーム体験が、
PCエンジンやゲームボーイ、メガドライブなどへ広がっていった頃を書きました。
PCエンジンに初めて触れたのは、
以前の記事でも触れたデパート屋上の『ビックリマンワールド』の大会です。
そのときは、まだ日常から少し離れた場所にある、
新しくて特別なゲーム機という印象でした。
その後、同じ町内に住む同級生を通じて、
PCエンジンは少しずつ身近な存在になっていきました。
その同級生には、ゲーム好きのおじちゃんがいました。
おじちゃんはPCエンジンを持っていて、
同級生がときどき本体を借りてくることがありました。
大会以外で初めてPCエンジンに触れたのは、
同級生に連れて行ってもらったおじちゃんの家だった可能性が高いと思います。
ただ、今でも特にはっきり覚えているのは、同級生の家へ遊びに行ったある日のことです。
その日はPCエンジンだけではなく、CD-ROM²まで一緒に借りてきていました。
そこで見たのが、PCエンジン版『イースI・II』でした。
『イースI』のオープニングに心を奪われた
最初に強く心を奪われたのは、
『イースI』のオープニングだったと思います。
ノリのよいBGMが流れ、その音楽に合わせて画面が動いていく。
当時「ビジュアルシーン」と呼ばれていた演出です。
今の感覚で見れば、ずっと滑らかなアニメーションが続くわけではありません。
それでも当時の私には、ゲームの中で音楽と映像が一体になり、
一つの作品として始まっていくことが強烈に新しく見えました。
私は子どもの頃からアニメもゲームも好きでした。
その二つが、目の前で一つになったように感じたのだと思います。
当時の私が感じていたのは、もっと素朴で強い驚きでした。
すごい。羨ましい。自分の家でも遊びたい。
ビジュアルシーンは、その気持ちを最初に強く引き出した場面でした。
友人の家でそれを見ていると、羨ましくて仕方がありませんでした。
自分の家にも欲しい。
『イースI・II』を最初から最後まで、自分で遊びたい。
そんな気持ちが一気に膨らんでいきました。
画面いっぱいの顔が、クリアな声で話した
オープニングだけではありません。
ゲームの中でフィーナなどのキャラクターと会話すると、
画面いっぱいに近い大きさで顔が表示され、クリアな声で話しました。
それまで私が遊んできたゲームでは、
キャラクターの台詞は画面に表示された文字を読むことが基本だった記憶があります。
だからこそ、画面いっぱいに近い顔から、
こんなにクリアな声が聞こえてくることに驚きました。
顔が大きく映り、声が流れ、音楽が場面を支えている。
それまでよりも、キャラクターの存在感がぐっと強くなりました。
アニメのような映像と声があり、
それを眺めるだけではなく、自分で操作して物語を進めていく。
アニメもゲームも好きだった私に、これが刺さらないはずはありませんでした。
ゲームと同じくらい好きだった音楽
『イースI・II』では、映像や声だけでなく、
音楽も当時から強く印象に残っていました。
ビジュアルシーンで流れるBGMはもちろん、
普段のゲーム中に流れる楽曲そのものが好きでした。
私は子どもの頃から、ゲームと同じくらいゲームミュージックが好きでした。
現在でも、サウンドトラックCDが付属しているなら、
わざわざ限定版を選ぶことがあります。
『イースI・II』がそのすべての原点だった、というわけではありません。
もともとゲーム音楽が好きだった私にとって、
CD-ROM²の豊かな音で『イース』の楽曲を聴きながら冒険できること自体が、
大きな魅力でした。
ゲーム中の音楽があり、ビジュアルシーンでは音楽と映像が重なり、
さらにキャラクターの声まで加わる。
それらを含めた『イースI・II』という体験全体に、強く惹かれていました。
後になって、PCエンジン版の音楽は、
米光亮さんがアレンジしたものだと知りました。
『イース』の音楽にはその後もさまざまな形で触れてきましたが、
現在でも、米光亮さんによるPCエンジン版のアレンジが最も好きです。
当時の驚きが記憶に残っているからだけではなく、
今聴いても、あの音楽には気持ちを一気に物語の中へ連れていく力があると感じます。
一つの長い物語だった『イースI・II』
PCエンジン版『イースI・II』で印象深かったのは、
『イースI』と『イースII』が別々のゲームとして起動するのではなかったことです。
『イースI』という一本のゲームを遊び終えたあと、
次のゲームをあらためて始めるのではありません。
『イースI』の冒険の続きとして、そのまま『イースII』へ進んでいきます。
一つの長い物語が途切れず、その先へ広がっていく感覚がありました。
当時の私は、それが普通なのだと思っていました。
最初からそういうゲームとして触れたため、
二つの作品をつなぐための特別な工夫だとは考えていなかったのです。
今振り返ると、二作品を同じディスクへ収録しただけではなく、
一つの物語としてシームレスにつないだ、非常に優れた改変だったと感じます。
『イースII』のエンディングも強く印象に残っています。
そして最後のスタッフロールまで見終えたとき、
長い物語のすべてが締めくくられたように感じました。
記憶では、スタッフロールの中で、
小さなキャラクターたちが画面をちょこまか動いていたように思います。
この演出については完全に確かな記憶ではありません。
それでも、音楽を聴きながら最後まで画面を見つめていた感覚は、今も残っています。
中学生には高すぎた憧れ
『イースI・II』を見たあと、
PCエンジンとCD-ROM²がどうしても欲しくなりました。
しかし、ソフトを一本買えば済む話ではありません。
PCエンジン本体とCD-ROM²の両方をそろえる必要があります。
中学生の私にとって、それは非常に高いハードルでした。
友人の家へ行けば見ることができます。
遊ばせてもらうこともできます。
けれど、自分の家にはありません。
自分の好きなときに『イースI・II』を遊びたい。
あの音楽を聴きながら自分のペースで冒険し、
ビジュアルシーンもキャラクターの声も含めて、
最初から最後まで自分で体験したいと思っていました。
友人の家で遊べるからこそ、
自分でも持ちたいという気持ちはますます強くなりました。
羨ましさは、簡単には消えませんでした。
中学三年の夏、欲しいもののために働いた
あまりにも欲しかったため、
私は中学三年の夏休みにアルバイトをしました。
どれだけ欲しくても、中学生には高すぎる。
その壁を越えるために、自分で働くことにしたのです。
そして、そのお金でPCエンジンとCD-ROM²を購入しました。
購入したのは、いつも利用していたゲームショップです。
会計のときだったと思いますが、店員さんから言われた言葉を覚えています。
「ボク、金持ちやな。」
もちろん、私は金持ちだったわけではありません。
友人の家で見た『イースI・II』がどうしても欲しくて、
夏休みに働いて貯めたお金でした。
店員さんから見れば、
中学生くらいの子どもが高価なゲーム機をまとめて買いに来たように見えたのでしょう。
けれど私にとっては、突然手に入ったお金で買ったものではありません。
友人の家で感じた驚きと羨ましさがあり、
中学生には高すぎるという壁があり、
それでも欲しくて働いた先に、ようやく手に入れたものでした。
自分の家にやってきたゲームの未来
友人の家で見ていたPCエンジンとCD-ROM²が、
ついに自分の家へやってきました。
これで『イースI・II』を、自分の好きなときに遊べます。
音楽を聴きながら冒険し、ビジュアルシーンを見て、
キャラクターの声を聞き、『イースI』から『イースII』へ続く物語を、
自分のペースで最後まで体験できます。
当時の私は、CD-ROM²の技術的な意味を詳しく理解していたわけではありません。
ただ、音楽、映像、声、物語が一体になった『イースI・II』がすごくて、
羨ましくて、自分の家でも遊びたいと思っていました。
今振り返れば、友人の家で見たあの体験は、
私にとって「ゲームの未来」と呼びたくなるものだったのだと思います。
そして、その憧れは友人の家で眺めるだけのものではなくなりました。
中学三年の夏に、自分で働いて手に入れたからこそ、
PCエンジン版『イースI・II』との出会いは、
作品そのものの記憶だけでは終わりませんでした。
欲しいもののために働き、ようやく自分のものにした記憶として、
今も私のゲーム個人史の中に強く残っています。

