ファミコンの中心から、外側へ
前回の記事では、ファミコン初期の記憶を振り返りました。
友達の家で見たファミコン。
近所のおもちゃ屋。
初期のゲームとの出会い。
今回は、その少し後の時代について書いてみようと思います。
ファミコンは、まだ私にとってゲームの中心でした。
けれど、その周辺では少しずつ変化が起き始めていました。
ディスクシステムが登場し、ゲームは書き換えられるものになりました。
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーによって、ゲームの中に長い冒険が生まれました。
そして、PCエンジンという新しいゲーム機の気配も、少しずつ私の生活圏に入ってきました。
今振り返ると、あの頃はファミコンの時代が終わりに向かっていたというより、
ファミコンを中心にしながら、ゲームの世界が外側へ広がり始めた時期だったのだと思います。
ディスクシステムは、ゲームの性能を変えたわけではなかった
ファミコンの次に家に来たものとして、ディスクシステムのことを覚えています。
ただ、ディスクシステムはファミコンの性能を大きく上げるものではありませんでした。
画面が劇的にきれいになるわけでもなく、音が別物になるわけでもありません。
それでも、当時の私にとって印象的だったのは、
ゲームを書き換えられるという仕組みでした。
たしか500円くらいで、ディスクの中身を別のゲームに書き換えることができました。
一度遊んだゲームに飽きても、また別のゲームにできる。
子どもにとって、それは大きな魅力でした。
ファミコンの性能が大きく変わるわけではありません。
けれど、ゲームの増やし方や遊び方が少し変わった。
ディスクシステムは、そういう意味で印象に残っている存在です。
バレーボールを遊びに来ていた近所のお姉さん
ディスクシステムで遊んだゲームを思い出そうとして一覧を眺めていた時に、
急に記憶が戻ってきたタイトルがあります。
『バレーボール』です。
ゲーム内容を細かく覚えているわけではありません。
けれど、このタイトルを見た瞬間、同じ町内に住んでいた二、三歳年上のお姉さんが、
これを遊びに家へ来ていたことを思い出しました。
こういう記憶は不思議です。
有名な大作だから覚えているわけではありません。
攻略したから覚えているわけでもありません。
ただ、そのゲームを遊びに来ていた人のことや、その時の空気が、
タイトルを見たことでふっと戻ってきます。
ディスクシステムの記憶には、そういう断片的な戻り方をするものが多いのかもしれません。
ツインファミコンへの憧れ
ディスクシステムといえば、友達の家にあったツインファミコンも覚えています。
ファミコンとディスクシステムが一体になった本体です。
ゲーム体験そのものが変わるわけではありません。
遊べるゲームが別物になるわけでもありません。
それでも、デザインがかっこよくて、一体型で扱いやすそうに見えました。
性能差だけではなく、ゲーム機としての見た目や佇まいにも強く惹かれました。
毎回出しては片付けるよう躾けられていた私の家庭では、一体型の便利さにはとても憧れたものです。
それでも中心はファミコンだった
ディスクシステムの記憶はあります。
けれど、私のゲーム体験の中心は、やはりファミコンでした。
振り返ってみると、ファミコン時代には本当に多くのゲームに触れていました。
全部を丁寧に挙げ始めると、それだけで別の記事になってしまいます。
それでも、外せないものがあります。
まずは『ドラゴンクエスト』です。
初代ドラゴンクエストは、発売直後に手に入れて遊びました。
そこからドラゴンクエスト6までは、すべて発売日に手に入れて遊んでいます。
私にとってドラクエは、ただの一本のゲームではありません。
シリーズを発売日に追いかけるという体験そのものが、自分のゲーム人生に刻まれています。
それまでのゲームは、ステージを進めたり、敵を倒してスコアを競ったりするものが中心でした。
もちろん、それもとても楽しいものでした。
けれどドラクエは、ゲームの中に世界があり、町があり、人がいて、冒険がありました。
レベルを上げ、装備を整え、少しずつ行ける場所が広がっていく。
ゲームを「遊ぶ」というより、ゲームの中の世界を「旅する」感覚がありました。
そして『ファイナルファンタジー』も外せません。
ドラクエとFFは、ファミコン時代に出会い、今でも追いかけているシリーズです。
そう考えると、ファミコン時代に出会ったものが、今の私のゲーム体験にもずっと続いているのだと思います。
メーカーごとの記憶
ファミコン時代を思い出すと、メーカーごとの色も強く残っています。
任天堂はもちろん、コナミ、ナムコ、エニックス、スクウェア、バンダイ、ハドソン。
挙げ始めれば、ジャレコ、テクモ、アイレム、テクノスジャパン、カプコンなども出てきます。
ただ、私の記憶の中で特に存在感が強いのは、ナムコ、コナミ、ハドソンあたりです。
ナムコは、『ファミリースタジアム』や『ファミリージョッキー』などのファミリーシリーズをはじめ、
『ドラゴンバスター』『ワルキューレの冒険』『ドルアーガの塔』『スターラスター』など、
いろいろなゲームを遊んでいました。
『女神転生』も当時はナムコから発売されていました。実際に作っていたのはアトラスだったようですが、
子どもの頃の私にとっては、そこまで細かく意識していたわけではありません。
コナミは、『ツインビー』『グラディウス』『がんばれゴエモン』『グーニーズ』などの印象が強いです。
アクションやシューティング、音楽の良さも含めて、コナミのゲームには独特の華やかさがあった気がします。
ハドソンも強く記憶に残っています。
『スターソルジャー』、桃太郎シリーズ、『ボンバーマン』。
そして高橋名人の16連射やシュウォッチ。
ゲームそのものだけではなく、連射を競ったり、名人という存在に憧れたりする文化もありました。
今思えば、ファミコンは単に家で遊ぶゲーム機ではなく、
子どもたちの間に共通の話題や競争を生む存在でもありました。
バンダイとキャラクターゲーム
バンダイも外せません。
『キン肉マン』『聖闘士星矢』『ドラゴンボール』、そしてガンダム系のゲーム。
当時の子どもにとって、漫画やアニメで好きだった作品がゲームになること自体が、大きな魅力でした。
ゲームとして完成度がどうだったかは、今ならいろいろ言えるのかもしれません。
けれど子どもの頃は、好きなキャラクターをゲームで動かせるだけでも十分にワクワクしました。
私にとってバンダイは、ゲームメーカーというより、
好きだった作品やキャラクターの世界をファミコンに持ち込んでくれる存在だったのだと思います。
家族や友達と遊んだゲーム
ファミコンの記憶は、一人で遊んだゲームだけではありません。
『桃太郎電鉄』は、母と一緒に遊んだ思い出深い作品です。
桃鉄は、ゲームの上手さを競うだけのものではなく、
同じ画面を見ながら、ああでもない、こうでもないと言いながら遊べるゲームでした。
ファミコン時代のゲームは、友達と遊ぶものでもあり、一人で冒険するものでもあり、
時には家族と一緒に遊ぶものでもありました。
『ボンバーマン』もかなり遊びました。
ファミコンでも遊びましたし、後にPCエンジンで五人対戦をした時の楽しさにもつながっていきます。
友達と遊んで楽しかったゲームとしては、
『くにおくん』シリーズや『熱血高校ドッジボール部』も思い出します。
横スクロールアクションのくにおくんや、ドッジボールは、友達と遊ぶと妙に盛り上がりました。
『スーパーチャイニーズ』も友達と遊んで楽しかった記憶があります。
一方で『スペランカー』は、すぐ死んでイライラしていた記憶があります。
こうして書いていくと、本当にきりがありません。
ただ、それだけファミコン時代には、いろいろなメーカー、いろいろなジャンル、
いろいろな遊び方があったのだと思います。
PCエンジンの気配
そんなファミコン中心の時代の中で、
少しずつ別のゲーム機の気配も見え始めました。
私にとって最初に印象に残っているのは、PCエンジンです。
小学校高学年くらいの頃だったと思います。
当時、ビックリマンシールが流行っていました。
その流れの中で、PCエンジンの『ビックリマンワールド』の大会が、
大丸の屋上で開催されていたことがあります。
私も参加しました。
残念ながら、景品がもらえるほどの得点は取れませんでした。
ほとんど練習できなかったので、仕方ないことではありました。
けれど、その記憶は妙に残っています。
ファミコンでもディスクシステムでもない、新しいゲーム機。
それが、家や友達の部屋ではなく、デパートの屋上という少し特別な場所に置かれていました。
PCエンジンは、まだ私の生活の中心にあったわけではありません。
けれど、ファミコンの外側にも別のゲームの世界があることを、確かに感じ始めていました。
ファミコンの外側へ
ファミコンは、まだ私にとってゲームの中心でした。
けれど、ディスクシステムによってゲームの遊び方は少し変わりました。
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーによって、
ゲームの中には長い冒険が生まれました。
ナムコ、コナミ、ハドソン、バンダイなどのゲームを通じて、メーカーごとの色や、
友達や家族と遊ぶ楽しさも記憶に残りました。
そしてPCエンジンの登場によって、
ファミコンだけではない時代が少しずつ見え始めました。
このあと、私のゲーム体験は友達の家でさらに広がっていきます。
メガドライブ。
PCエンジン。
そしてCD-ROM²。
その先には、後の自分に大きな影響を与える一本のゲームとの出会いが待っていました。
その話は、また次の記事で書いてみようと思います。
