AIのおかげで速くなったのに、暇になっていない
AIのおかげで、考えることも作業することも、以前よりずっと速くなりました。
一人ではまとまりにくかったことが、対話を重ねるうちに形になります。
文章を書き、画像を作り、Markdownを整え、公開するところまで、
以前なら別々に時間を取られていた作業も続けて進められるようになりました。
それなら、以前より自由時間が増えていてもよさそうです。
これだけ速くなったのだから、もう少し暇になっていても不思議ではありません。
ところが、実際にはあまり増えた気がしません。
ゲームやアニメに使える時間が目に見えて増えたわけでもなければ、
何もせずに休めるようになったわけでもありません。
できることは確かに増えているのに、生活の中に残る時間は増えていない。
振り返ってみると、それが妙に感じられました。
作業が速く終わると、その先にあった次の作業へ手が届きます。
一つ考えがまとまると、そこから次に考えたいことが見つかります。
AIが時間を奪ったわけではありません。
むしろ、これまでなら諦めていたことまで実行できるようにしてくれました。
それは間違いなく、AIを使ってきた成果です。
それでも私は、AIで思考も作業も加速したのに、
なぜ自由時間は増えなかったのだろうと考えるようになりました。
一つでも十分に大きかった二つのプロジェクト
現在、私がAIと一緒に進めている大きな個人プロジェクトには、
FIFNELと競馬AIがあります。
FIFNELは、もともとAIを学ぶための実践題材として始めました。
Chatで共思考し、会話から見つかったテーマをKnowledgeサマリーへ整理します。
それをWorkやVSCodeのCodexへ引き継ぎ、草稿、ドラフト、アイキャッチ、
Markdown、公開処理へと進めています。
記事の内容を考えるところから、形にして公開し、
記録としてリポジトリへ残すところまでが、一つの学習になっています。
収益化も考えています。
ただ、FIFNELで大きく稼げるとは考えていません。
続けるうちに、それ以上に、自分の経験や考え、記憶を後世へ残すことへ、
意味を感じるようになりました。
当時のゲームや技術を一人の人間がどう受け止め、何を欲し、何を考えたのかは、
本人が残さなければ、少なくとも本人自身の言葉では残りません。
FIFNELはAIの実験場であると同時に、
私自身の公開されたアーカイブにもなりつつあります。
一方、競馬AIは、より開発寄りのAI学習ができるプロジェクトです。
データ処理、機械学習、SQLite、分析、期待値の検証など、
FIFNELとは違う種類の課題があります。
収益性についても、FIFNELより期待しています。
現在は、蓄積してきたデータをSQLiteへ取り込み、
さまざまな切り口から数字を分析できる基盤を作っている途中です。
開発自体は止まり気味ですが、週末の予想処理は続けているため、
分析に使うデータは蓄積されています。
競馬AIだけでも、開発し、運用し、結果を検証しながら改善を続ける、
十分に大きな長期プロジェクトです。
FIFNELも、記事を書くだけでなく画像作成や公開、記録まで含めれば、
それだけで長く続けられます。
AIがなければ、FIFNELだけでも現在ほど進められたか分かりません。
それなのに今は、性質の異なる二つを同時に進められています。
これは、少し立ち止まって考えても、やはりすごいことです。
速く終わるたびに、その先が見える
問題は、どちらのプロジェクトにも、はっきりした終わりがないことです。
FIFNELでは、一つの記憶を掘り下げると、
そこから別の記憶や価値観、技術との関わりが見つかります。
一つの記事を公開すれば終わりではなく、次に残したいことが増えていきます。
競馬AIでも、一つの分析をすれば、
次に試したい条件や特徴量、検証方法、運用上の改善点が見つかります。
データが増えれば、これまでできなかった切り口でも確認したくなります。
AIによって一つ一つの作業は速くなりました。
しかし、速く終わった先にあるものまで見えるようになったため、
プロジェクト全体が早く終わるわけではありません。
以前なら、時間や技術の不足を理由に諦めていたところへ、
今は手が届きます。
手が届くと分かれば、やってみたくなります。
そして一つできると、もう一段深く掘れることにも気づきます。
気づけば、AIによって生まれた余力を、
次の思考、次の記事、次の分析、次の改善へ使っていました。
時間が余らなかったのではなく、余る前に次の挑戦へ使っていたのです。
できるようになったことを、すべてやろうとしていた
ここまでの自分の使い方を整理してみると、
AIで増えた力を何に使うかには、二つの方向があるように思いました。
一つは、以前はできなかったことへ使う「拡張」です。
もう一つは、短縮できた時間を休息や娯楽へ戻す「回収」です。
今の私は、明らかに拡張へ偏っています。
二つのプロジェクトを同時に進め、以前より深く考え、
作れるものの質や範囲も広げています。
AIで増えた力を、ほとんどそのまま次の活動へ再投資しています。
これは失敗ではありません。
FIFNELも競馬AIも、AIがあったからこそ、今の地点まで来られました。
AIを学ぶという目的から見ても、実際の制作や開発へ使えているのですから、
少なくともAI活用としては、かなりうまくいっていると思います。
ただ、できることが増えたからといって、
できるようになったことをすべてやる必要はあるのでしょうか。
AIを使い始めたのは、AIそのものを学び、
自分のやりたいことを進めるためでした。
できれば、これまで大変だった作業を楽にしたいという思いもありました。
ところが、楽になった分だけ新しい作業を増やしていれば、
私の生活に残る余裕は増えません。
できることが広がるほど忙しくなるという、不思議な状態です。
そこで、「私は何をしたくてAIを使い始めたのだろう」と、
もう一度考える必要が出てきました。
記録する人生そのものがなくなったら、本末転倒になる
特に気になるのは、FIFNELと生活の関係です。
FIFNELには、私の経験や考え、記憶を残したいと思っています。
ゲームを遊んだことや、技術に触れたこと、
そのとき何を感じ、どう考えたのかを書いていく場所です。
しかし、FIFNELを作ることに時間を使いすぎて、
記録する人生そのものが減ってしまったら、本末転倒です。
記事を書くためにゲームをするわけではありません。
ゲームを遊び、アニメを見て、料理をし、何もせずに休む時間があり、
その中で残したいことが生まれたから記事になります。
競馬AIも同じです。
長く続けて結果を積み重ねるプロジェクトなのに、
毎週最大速度で開発しなければならないと考えれば、続けること自体が苦しくなります。
どちらにも意味があり、どちらも続けたい。
だからこそ、両方をいつも全力で動かすことが、
本当に続けるための方法なのかを考え直しています。
最速ではなく、長く続けられる速度を探したい
今のところ、きれいな答えが出たわけではありません。
ただ、FIFNELと競馬AIを、毎週同じ割合で進めなくてもよいとは思い始めています。
FIFNELへ集中する時期には、競馬AIは週末の予想処理とデータ蓄積を続ける低速運転にする。
競馬AIの分析基盤を進める時期には、FIFNELの記事制作を少し遅くする。
両方を止めずに続けることと、両方を常に最大速度で進めることは、同じではありません。
AIによって増えた能力も、毎日100%使い切る必要はないはずです。
早く終わった時間を、次の作業へ使わずに終える日があってもよい。
ゲームや休息へ戻せたなら、それもAI活用によって得られた成果です。
AIは、私ができることの範囲を大きく広げてくれました。
その可能性を狭めたいとは思いません。
一方で、広がった範囲をすべて埋めようとすれば、
どこまで進んでも時間は足りなくなります。
何を作るかだけでなく、何を作らず、どの時間を生活へ戻すのかも、
自分で選ばなければならないのでしょう。
AIで思考も作業も加速したのに、自由時間は増えませんでした。
今はその理由を、AIの性能ではなく、
できるようになったことをすべてやろうとした私の使い方に見つけつつあります。
最速で進むことより、FIFNELも競馬AIも、
その外側にある生活も含めて、長く続けられる速度を探す。
今は、そんなふうに考え始めています。
