「すごい人が来るらしい」

前回は、ゲームを作りたくて専門学校へ入り、
プログラミングを学ぶことそのものが楽しくなった頃を書きました。
基礎を覚えた後は、それを使ってゲームを作る機会が増えていきました。

その頃の学生生活を振り返ると、今でも思い出す人がいます。
1年分を飛び級するような形で、上の学年へ入ってきた学生です。
最初は「すごい人が来るらしい」と聞いた程度で、
具体的に何がすごいのかは、まだ分かっていませんでした。

一緒に過ごしていると、その凄さが少しずつ分かってきました。
彼は、いつもゲームを面白くするにはどうすればいいかを考えていて、
時間があればプログラムを触っていました。
もともとのセンスも高かったのですが、ゲーム制作へ注ぐ情熱と時間が圧倒的でした。

私は彼を、天才プログラマーだと思っています。
アスリートの天才にも、センスのある人が長い時間をかけて自分を磨き続け、
そこまでたどり着いた人がいると思いますが、彼にもそんな印象を持っています。

間近で見ているうちに、自分はこの人のようにはなれないと、薄々感じるようになりました。
私には、ここまでゲーム制作一本へ情熱と時間を注ぎ続けることはできそうにありませんでした。

遊んできたゲーム機と、自分で作るペイントエディタ

学校では、ファミコンやスーパーファミコンの開発環境にも触れました。
それまで遊ぶ側だったファミコンやスーパーファミコンに、
今度はゲームを作る側として触れると、「これでゲームを作っていたのか」という感慨がありました。

ファミコンは授業で少し触った程度でしたが、スーパーファミコンにはもう少し触れる機会がありました。
PC側でアセンブラやグラフィックを用意し、実機で動かすようなことをしていました。

ただ、当時はすでにPlayStationやセガサターンが登場していました。
自分が卒業する頃には、ファミコンやスーパーファミコンのゲームを作れること自体は、
それほど大きな強みにはならないだろうと考えていました。
触れられるのは感慨深くても、これを極めようという気持ちにはなりませんでした。

この頃は、自分でペイントエディタも作りました。
ペイントソフトそのものを作れば、グラフィックをモニターへ表示する仕組みが分かる。
そこで作った描画処理は、その先のゲーム制作にも使えると考えたからです。

絵をどう表示するかだけでなく、どういうデータとして持ち、どう保存し、ゲームへ渡すか。
そうした部分も自分で考えました。
そのエディタでドット絵を描き、簡単なDOSゲームで使うようなことをしていました。

数学を使う場所と、絵への未練

2年目頃からは、3Dの授業も増えていった記憶があります。
当時は「これからは3D」という空気が強く、私も大きな可能性を感じていました。

ところが、3Dを学び始めると、アフィン変換などを理解するために、
行列やsin、cos、tanといった、高校までに習った数学の知識が必要になりました。
前回も少し触れましたが、これには苦戦しました。

高校時代は「こんなもの何の役に立つんだ」くらいに思っていて、
内容もほとんど理解していませんでした。
sin、cos、tanなどは、最初は呪文かと思うくらいです。

それが、自分のやりたい3Dで必要になりました。
学校でやった数学って、ちゃんと使う場所があったんだと、強く感じました。
今なら、使う分野があるからこそ授業で教えていたのだろうと思いますが、
当時の私は、使い道を知って初めて学ぶ意味を実感しました。

一方で、絵やデザインも学んでいました。
子どもの頃には漫画家になりたいと思った時期があり、まだそちらへの未練も少し残っていました。
通常の授業とは別に、追加料金を払って土曜日のデッサン授業にも参加しました。

もしかすると、こちら方面で芽が出るかもしれないし、勉強しておいて損はない。
そんな気持ちでした。
デザインの授業で、バランス感覚がよいと言われたことも覚えています。
自分が何に向いていて、どの方向へ進むのかは、まだ決めきっていませんでした。

3Dを使いたい。でも、2Dの絵も捨てたくない

3Dの可能性には惹かれていましたが、当時の見た目には満足していませんでした。
粗いポリゴンにテクスチャを貼った表現と、成熟してきた2Dの絵を比べると、
見た目にはずいぶん差があると感じていました。
今でも、3Dが2Dを明確に上回ったとは思っていません。

3Dは取り入れたい。でも、2Dの表現は捨てたくない。
3Dの空間的な良さと、2Dの絵としての良さを、両方使いたいと考えていました。

そこで作ったのが、2D画像を使いながら、3D的な奥行きを扱えるモーションエディタです。
主に考えていたのは、ベルトスクロール型のアクションゲームに、
もっと3D空間らしい奥行きを持たせることでした。

画像にX・Y・Zの位置や大きさを持たせ、奥へ行けば小さく、手前へ来れば大きく表示する。
向きに応じて画像を変え、各フレームの表示時間や、次のアニメーションへの遷移も設定できるようにしました。

使い道は、一つのゲームに限らないと考えていました。
シューティングの爆発、RPGの魔法、『スーパーロボット大戦』のような戦闘アニメ。
キャラクターの移動や攻撃も含め、複数の2D画像を組み合わせて動かす表現なら、
いろいろなところへ使えそうでした。

エディタはWindows 95上でDelphiを使って作り、
出力したデータをDirectDrawを使ったデモプログラムで動かしていました。

2Dキャラクター画像に奥行きを持たせる自作モーションエディタを操作する学生のイメージ

黒いPlayStationで動いていた3D格闘ゲーム

2年目か3年目頃だったと思いますが、学校へ黒いPlayStationの開発環境が入りました。
最初に書いた学生は、それを使って3Dの対戦格闘ゲームを作っていました。

LightWave 3Dでキャラクターを作り、アニメーション用のツールも自作していました。
コントローラーの入力に応じてキャラクターが動き、当たり判定があり、2人で対戦できます。
技や必殺技のような動きに加えて、残像のような演出までありました。

キャラクターのモデルは、人形のような見た目だった記憶があります。
それでも、実際に3Dの対戦格闘ゲームとして動いていました。
周囲には、同じレベルのものを作っている学生はいませんでした。

学生でもここまで作れるんだという驚きもありましたが、
それ以上に「やっぱりこの人は別格なんだな」と感じました。

ゲーム会社へ進む気持ちが、薄れていった

ゲームを作る経験を重ねるうちに、その大変さも分かってきました。
そして専門学校で過ごすうちに、
ゲーム会社へ進みたいという気持ちも少しずつ薄れていきました。

当時、かなり心に残っていた話があります。
兄の友人にPCが好きな人がいて、自身の経験から、
好きなものは仕事にしない方がいい、という趣旨の話を聞いたことがありました。

ゲーム業界の働き方についても、悪い噂を耳にしていました。
自分で働いて確かめたことではありませんが、
ゲームを仕事にしたら、ゲームそのものを嫌いになってしまうのではないかという不安がありました。

私自身、ゲーム業界もピークを過ぎ始めているのではないかと感じていました。
当時の私がそう思っていた、という話です。
ゲーム制作のセンスがあると感じていた仲の良い友人も、ゲーム業界へ進むことを諦めていて、
その影響もありました。

彼を見ながら感じていた「自分はこの人のようにはなれない」という思いも、
進路を考えるうえで影響していたと思います。

一方で、ゲーム以外のプログラムやツールを作ることも、すでに楽しくなっていました。
ゲーム会社へ行かなくても、コンピュータでものを作る楽しさは得られるのではないか。
そう感じ始めていました。

「ゲームは作りたかったけど、自分の方が大事だった」

振り返ると、そんな言葉になります。
作る大変さや、好きなものを仕事にする不安、周囲の人たちを見て感じたこと。
いくつかの気持ちが重なって、ゲーム会社へ入る未来が、以前ほどはっきり見えなくなっていました。

一度は辞退しようとした、就職作品発表会

学校には、選ばれた学生がゲーム業界の人たちの前で作品を見せる、
就職作品発表会のような場がありました。
正式な名前は、はっきり覚えていません。

私も参加することになりましたが、すでにゲーム会社へ進む気持ちが薄れていたので、
一度は担任の先生へ辞退したいと伝えに行きました。
すると、就職先はともかく出た方がよい、という趣旨のことを言われ、参加しました。

多くの学生の中から選ばれた以上、みっともない作品は見せられない。
ゲーム業界のプロに見てもらう場ですから、プレッシャーは大きく、かなり緊張しました。
私が発表したのは、あのモーションエディタでした。

就職作品発表会で、自作エディタについてゲーム業界の人たちへ説明する学生のイメージ

業界の人たちは、作品を見て単純に良い、悪いと言うことはあまりありませんでした。
何を作ったのか、なぜこれを作ったのか、どういう考えで実装したのか。
興味を持って質問してもらえましたが、
作品そのもの以上に、私がどんな人間なのかを見られているように感じました。

モーションエディタについては、企業の方の一人から、
ゲームは作品で見せたい部分だけで作れるものではなく、
こういう制作を支えるツールもとても大切だ、という趣旨のことを言ってもらいました。

今でも覚えている質問があります。
今でいうボーンのようなものを組み込み、一つを動かすと、
他のオブジェクトも連動して動くような仕組みはあるのか、という趣旨の質問でした。

私は「インバースキネマティクスは実装していません」と答えました。
相手が本当にIKそのものを意図していたのか、
ボーンの階層や親子関係のような、別の仕組みを指していたのかは分かりません。

自分でも実装したかったのに、そこまでは作れていなかった部分でした。
ちょうどそこを聞かれて、「痛いところを突かれた」と思いました。

見ているだけでも面白かった学生作品

ほかの学生作品も、かなりレベルが高かった記憶があります。
完成した市販ゲームのような形でなくても、
自分が見せたい技術やアイデアを、きちんと動くものにしていました。

彼も、黒いPlayStationで3D対戦格闘ゲームを発表していました。
その中でも群を抜いているように見えましたが、業界の人たちは彼にもいろいろな質問をしていました。
学生それぞれのレベルに合わせて、質問の内容も変えていたのかもしれません。

もう一つ印象に残っているのが、PCで作られたリアルタイムストラテジー風のSLGです。
小さなキャラクターがリアルタイムに動き回り、戦っていました。
見ているだけでも面白かったです。

コンピュータで、何かを作っていたい

この頃、ツール開発者になろうとか、一般のIT業界へ進もうとか、
そこまで具体的に将来を決めてはいませんでした。

肉体労働や営業、接客のような仕事は、自分には向かなそう。
パソコンを使う業界には進みたい。
比較的はっきり考えていたのは、そのくらいです。

ゲーム会社へ進む未来は、少しずつ薄れていきました。
でも、コンピュータを使って何かを作ることそのものは、むしろどんどん面白くなっていました。